平和の礎

毎年、毎年、今になってようやく名前が確認されて「平和の礎」に追加される人がいます。

ローカルニュースで紹介していましたが、家族全員亡くなって一人残された当時小学生だった女の子もとうとう亡くなってしまい、この子の生きた証を残してあげたいという思いが強かった当時の担任の先生が、今は他府県で生活しているんだけどこの「平和の礎」のことを知って、たった一枚の写真を手がかりに、この子の名前をやっと探し出し今年やっと礎に刻むことができたと。
戦争から60年も経っているからその子の名前を思い出すことができなくて、いろいろな人を尋ねまわったらしいです。
その先生は90歳近いし、女の子も健在でも70代半ばですから知っている人がどんどん年老いて亡くなっているのが現状です。

礎に名前が刻まれたら、家族がいなくても、誰かが手を合わせて御霊を慰めてくれるという思いがあって今でもこうやって名前を探す活動をしている団体もあります。

一番ひどかったときは、畳一畳に銃弾200発が打ち込まれたんだそうで、道を歩いていても人にはほとんど会うことがなく、あたり一面死体で、死体の隙間を歩いていたそうです。

沖縄以外では戦争はもう遠い昔のことというより、もう歴史になっている感覚の方が多いでしょうけれど、沖縄にでは今でも壕の調査が続いていて、めがねや印鑑とかが出てきているし、その持ち主の遺族を探したり、もちろん人骨も出てきています。
建物の工事現場から不発弾が出できて、通行止めにして不発弾処理をしているから、沖縄にとってはまだまだ戦争は終わっていないのかもしれません。

沖縄の人はこんな生き地獄を見てきているから、だから生きることの尊さを知っていて人に対して優しいのかもしれませんね。

戦争以上の苦しさはなかなか無いでしょうから、大抵のことは「なんくるないさぁ」って笑い飛ばせるのかもしれません。

沖縄のおじぃーとおばぁーは凄いです。
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